江戸時代のファッションリーダーは花魁

伝説の花魁といえば数人いるのですが、流行をつくってしまった人が「勝山」。

お勝とよばれ、元々は湯女、風呂屋さんの従業員で様々なサービスをする女の人でした。
その様々なサービスは(ちょっと意味深ですが)江戸の世では吉原でしか認められていないのです。
もぐりで商売していたために、捕まってしまいます。あらら・・・・・

諸っ引かれたお勝は、後に吉原の遊郭に移籍して大出世していきます。

湯女の時から派手な格好で評判があったお勝は、目立つ存在だってのでしょうね。

髪型も自分で考案して、髷が大きな輪になっている華やかな武家風の髪型にしていました。この武家風の髪型が「勝山髷」。
後に既婚女性の髷の定番の「丸髷」の原型だそうです。
丸髷って昭和の初めくらいまで結っていた髪型です。すごいですね。

着る物といえば、

褞袍(どてら)って皆さんわかります??
若い方はわからないかも・・・・・
防寒用の綿が入った丹前です・・・羽織の形に似てるけど‥‥綿入りの羽織みたいなやつです(;^ω^)

派手な縞柄だったそうですよ。
これも勝山が考案して江戸の町に大流行。

履物といえば

勝山草履とよばれ、鼻緒が朱色で2本あるデザインの物。

う~ん、足元の赤いアクセント!!
現在で言えば、クリスチャン・ルブタンのレッドソールのピンヒールでさっそうと歩く~とカッコよいよね って感じか??

そして、そして、花魁といえば、花魁道中!!

あの進んでいるようで進んでない歩き方 ( ´∀` )

((京都の島原の遊郭の大夫は「太夫道中」といいます。))
京都島原は「内八文字」に歩をすすめます。

江戸吉原は「外八文字」に踏みすすめます。
勝山がそれまで京風に歩いていたのを、外八文字に変えて歩いたのが始まりだという説もあるんです。

ファションセンスもあるし、ちょっと奇抜なことをさらりとやってのけてしまう人だったのでしょうね。

歌舞音曲に優れ、和歌や書も嗜んだ勝山は、トップにまで登り詰めます。
ですが、デビューから3年目の明暦2年(1656)、突如姿を消す。
彼女の真意は不明ですが、母の訃報に触れ、供養のための巡礼の旅に出たという説があります。