関西で有名な花魁(太夫)

前回、ファションリーダー的花魁勝山について書きましたが、まだまだ、花魁で名前を後世にまで残している女性が、数名おられます。

 

 

京都の島原、「吉野太夫」

 

江戸の吉原、「高尾太夫」

 

大阪の新町、「夕霧太夫」

 

今回は大阪の夕霧太夫さんについて調べてみましたよ・・・・・

 

 

1655年くらいに生まれて~1678年の生涯。

 

亡くなった後に更に有名になって、浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなっているから、夕霧太夫 耳にしたことがある人も多いと思いますね。

 

本名はてるさん、生まれたのは京都の嵯峨(嵐山付近)です。

 

 

今は、住宅も多いですし。観光の名所が沢山ある場所で賑わいがありますが、当時は結構な田舎だったでしょうね。山と川がありますし自然たっぷりの場所で小さいころを過ごしたのでしょう・・・・

 

父親は代々、嵯峨大覚寺に出入りしる宮大工さんらしいです。

 

幼少の頃、たぶん7歳とか8歳とかだと予想するんですが、最初は京都の島原の「扇屋」という置屋に身売り奉公に出されます。

 

小さいときは禿として、先輩の身の周りをお世話をしながら、芸事などを教え込まれます。

 

 

男の子は丁稚奉公、女の子は女中奉公、小さい時から親元を離れて町中に送り込まれるのが普通だったのです。器量のよい女の子は、置屋に・・・・

 

 

夕霧が京都の島原で有名になったころ、置屋の「扇屋」は1672年(夕霧が19歳か20歳の頃)に発展が著しい大阪の新町という遊郭に引っ越したんです。京都で商売するより、大阪を選んだんですね~

 

京都ですでに有名な夕霧が大阪に来る!!というので、大阪中の評判になり相当ざわついたらしいです。

 

 

「京女郎の下る」という歌まで流行ったと伝ってます。

 

京都、大阪の遊女は、太夫を頂点に天神、鹿子位、端女郎とランクが分れてました。

 

太夫は絶世の美女で傾城(けいせい)と呼ばれ、茶道、香合、生け花、書道、和歌、俳諧、音曲、などができて、古今和歌集から、新古今和歌集、源氏物語、竹取物語、なんと漢文まで読めた人達・・・・

 

太夫は廓が生んだ最高の芸術品!!

 

才色兼備な人なのです~

 

そんな夕霧は大阪に写って6年目、高層の祈祷や名医の治療の甲斐なく、1678年1月6日に生涯を閉じたのでした。

 

26歳くらいでしょうか・・・・・

 

 

夕霧のお墓は、京都の嵯峨野、大覚寺塔頭の覚勝院にあります。

 

京都嵯峨野に訪れた時は、手を合わせに行ってみたいですね。

また、京都四条、南座の北側の北座ビル5階に「ぎおん思いで博物館」に、夕霧の手紙や衣装が展示されています。

 

花魁体験で京都にお越しになったら、当時の本物の打掛なども見ていらしたらどうでしょうか。