花魁が暮らす遊郭は何処にあったの?

花魁体験にお越しくださるお客様達とは、メイクや着付け中に色々な話題で盛り上がったりしますが、ご質問も頂きます!!

 

昔の花魁ってどこに住んでたんですか??

昔の花魁のお化粧ってどんな感じだったんですか?

今もいるんですか??

 

などなど(;^ω^)

 

★今回は、どこに住んでいたのか~?についてですm(__)m

 

 

「遊廓」と呼ばれ、竹垣や板塀と溝渠(水が通るお堀みたいなもの)に囲まれた隔離された町です。

 

 

花魁と言えば、江戸の「吉原遊郭」が有名ですね。映画、YVドラマ、舞台、コミック、小説などにもたくさん登場します。「仁 ―JIN-」、「さくらん」や、「吉原炎上」とか

 

まず、江戸の吉原遊郭は、いつ頃できたんでしょう・・・・・江戸幕府に公認された遊郭ですので・・・・・江戸時代。

 

元々は、徳川家康の終焉の地、駿府(今の静岡市葵区)の城下町、二丁町遊郭から一部移されたのが始まりみたいです。

 

江戸の町、今ですと、日本橋人形町、日本橋富沢町辺り。

めっちゃ都会ですやん!!

でも江戸時代の頃は僻地、都会のはずれで海岸に近くヨシが茂っていたことから「吉原」と呼ばれたんだとか、草ボーボーの湿地帯。ここが「元吉原」

 

 

 

その後、江戸市中は人口も増え、大名のお屋敷も吉原に隣接するようになり、1656年の10月に移転を命じます。

 

移転したのは、浅草寺裏です。ここが「新吉原」

この「新吉原」の人数の記録がありまして(1721年に徳川吉宗が日本全国の人数調査をした時の記録)

約8171人 内訳もありますよ・・・・・遊女は2105人 禿は941人です。

 

その他、召使いが2163人 家主182人などなど・・・含めて

8千人もの人が暮らす町で暮らしていたんです。

 

 

 

次は、京都の「島原遊郭」についてです。

 

もっと古い記録がありました・・・・

室町時代です!!足利義満が現在の東洞院通七条下ル辺りに許可を出したのが遊廓の始まりといわれてます。「九条の里」と呼ばれた遊廓なのですが、場所は七条です????

 

えぇっ~マジで!!いま私が仕事しているこの辺!

葵のお店があるここら辺りです!!

お店の住所は、下京区東洞院七条下ル東塩小路町です!!

知らなかったわぁ~ 調べるといろんな驚きがあります・・・・・・

 

時代はすすんで、桃山時代1589年に豊臣秀吉の許可をもらい、二条万里小路に「二条柳町」ができました。現在は、二条柳馬場辺りですね・・・・地下鉄烏丸御池駅の東北辺りかな・・・・・

 

その後江戸時代に六条付近に移され「六条三筋町」そして・・朱雀野付近にまた移転・・・そこが「島原」と呼ばれたんですって(‘◇’)ゞ

 

 

この辺りは田原で島に例えて呼ばれたのが「島原」の由来とか。

江戸の吉原もそうですが、街のはずれにつくられたんですね、遊廓って!!

 

 

さて次は、大阪の「新町遊郭」

 

👆京都島原の写真です

 

 

1629年ごろ、人家のなかった西横堀川の西の湿地帯に散らばっていた遊里が集められて、「新町遊郭」ができました。ここも湿地帯???を整備してつくられました。

 

現在の大阪府大阪市西区新町1丁目・同2丁目

 

 

豪華さは、新町遊郭は吉原遊郭、島原遊郭をはるかに抜き、すごーくにぎわっていたらしいです!!

 

前回に京都の夕霧太夫が大阪に出向いたという事を書きましたが、栄えていたんですね。

 

大きな揚屋は間口約22m、奥行き108メートルの広さがある建築物で豪華な造りになっていたそうです。

 

道に面して22mの店 😆 迫力があります。

 

 

19世紀初めに江戸から新町遊郭を訪ねた滝沢馬琴は「揚屋の広く綺麗なること大阪にしくものなし」と残しています。

吉原よりすごいんじゃない!!といってます。

 

1679年の記録によると、遊女1202人、禿550人、京都の島原遊郭の2.5倍で大阪の繁盛ぶりがわかりますね!