昔の花魁のメイクって?

江戸時代の花魁や遊女たちは、白粉を使ったお化粧です。

皆さんも耳にしたことがあるかもしれません、“色の白いは七難かくす”の諺のとおり色白が美人の第一条件だったのです。

当時のお化粧は、色でいえば、赤、白、黒の三色が中心でした。

今みたいに、自分の肌の色に合わせてファンデーションを選んだりしていないんですね!

 

白粉は水で溶いて、顔だけでなく首、襟足、胸元のあたりまで刷毛を使って丹念に塗りのばして、次に丸い刷毛ではたき込み、さらに余分の白粉は別の刷毛で払って落とすという手間のかかるお肌づくり・・・・質感の違いや顔の微妙な立体感は濃淡をつけて生み出していました。高く見せたいところ、今で言うTゾーンは白粉が濃い目で、瞼や髪の毛の生え際のおでこは薄っすらとぼかすという具合です。

首はお顔よりはちょっと濃い目がお決まりだったようです。

 

 

固形のファンデーションや、BBクリームなどをササっとつける今とは違って、手間がかかるお化粧方法です。

 

江戸時代後期に発売された、「美艶仙女香」という白粉はとても有名で、浮世絵や、川柳にもたくさん登場します。

これ、読んだときは、クスッ😏っと笑ってしまいました・・・・・

いつの時代も、かわらないなぁ~

 

仙女香十包ねだる馬鹿娘

 

たくさんつければ効果があると思っている娘を親が詠んだ句。

「仙女香」は1包で48文(約960円)でした。

 

 

その「美艶仙女香」の効能が、これまたすごい。
引札という当時の宣伝チラシによると、「いろを白くし、きめをこまかにす」は普通の白粉ですが、「はたけ、そばかす、にきび、あせも、御顔のできもの一切によし」、「股のすれたる所へこすりてよし」は皮膚科の薬です。さらに「常に用ちゆれば年たけても御顔のしわよらざる事妙なり」といまのアンチエイジング製品を思わせます。

 

こんな宣伝文句を聞くと、ついつい買いたくなりますよね!!

 

でもこの時代の白粉は鉛と水銀が含まれていたのでこの宣伝文句は全くのウソです。

 

明治時代になると水銀、鉛含有の白粉が禁止になります。ですが・・・・禁止されても使っていた女性は多くいたようですね。製造されなくなったのは、昭和になってからだそうです。今の舞妓さん達が使っている白粉よりも、伸びが良く、透明感のある仕上がりになっていたそうです。

 

色は白と黒と赤だけですので、口紅は小さめに、そうです!!おちょぼ口に仕上げます。

赤い紅は、紅花から作ったもので、唇、頬、爪、に塗られていました。耳たぶにほんのり付けることもあったみたいですね。

紅花の生花からつくられた紅はとても高価なもので、紅一匁、金一匁 といわれ、今のお金で換算すると、一回の化粧で口紅を塗ると、500円から600円くらいに相当したようです。

花魁や遊女たちは、この高価な口紅を惜しげもなく何回も塗り重ねて、緑がかった玉虫色に見せる化粧方が、1804年頃から1830頃に一時的に流行しました。

下唇に重ね塗りして、笹色にする、笹紅化粧です。

 

 

一般庶民は高価な口紅重ね塗りはちょっと辛い!!そこで、下地に墨を塗って、上に紅を塗ると似たような感じになったそうですよ。安いものでコピー!!町娘も下唇が笹色にしたかったんですね。

当時花魁はファッションリーダーですから・・・・・

セレブがしているファッションやメイク法を私たちがまねるのと同じですね!😁

そういえば、2年くらい前に、黒い口紅が流行ってましたね。

 

眉毛は、カミソリで剃ったり毛抜きで抜いて形を整えてから、眉墨を使って書いていました。

丸顔の人は短めに、下膨れの人は太目に描くのが良いとされていたようです。

 

スキンケアもぬかりなくですよ。

 

洗顔は、(糠を袋に入れて)、糠袋で肌を磨いていました。糠は今もスキンケア商品に含まれたものが販売されていますから頷けます。糠は肌を決めを細かくして艶を出してくれるといわれますね。化粧水もありました、野ばらなどから露を抽出した「花の露」と白粉がはげにくいといわれた「江戸の水」という商品が人気だったそうです。

寝るときはパックもしていたそうで、米のとぎ汁を寝る前に塗って翌朝洗い流すという方法。

 

 

シャンプーは、今みたいにアワ泡で洗っていたのではないです😆

 

お風呂は毎日入っていたようですが、洗髪は月に2,3回で、ふのりという海藻に小麦粉を混ぜた物で髪を洗っていたそうです。

 

今も昔も、綺麗でいることは、時間とお金がかかるなぁ~

 

今回はこれで〆ます。